フィリピンの台風被災者への救援物資募集

フィリピンの被災者用に集めた物品は2016/4には震災にあったネパールに、2020/2はベトナムに行きました。写真は下の方に掲載

2013年の台風30号などの台風(国際名ヨランダ、現地名ハイエン)によるフィリピンの被災者に救援物資を届けようとしています。
台風銀座の地域ですから有名な台風以外も毎年台風に襲われています。

今まで地震の無い国だったフィリピンでも2013/10/15朝8時過ぎにはボホール島でM7.1の地震があり、数十km離れた隣島セブでも大きなビルが倒壊し沢山の人が死亡。
直後は下着裸足の人が大通りに飛び出し、避難する人々で混むほど。
狭い道路に避難しても両側ビルではビルが倒れたら危険なのに誰も判ってない。
地震から4時間も経過してから津波が来ると山の上に逃げて1週間も戻って来ない人が大勢いたり日本人から見るとこっけい??と思う事が多い。

私が持っていく救援物資と言っても飛行機預入荷物で持参できる40kg程ですかが、できるだけ毎月のように持って行こうとしています。 
個人で行っているので旅費や滞在費など私自身個人の負担もあります。
助けになる品物を無料でお送りいただける方がおられましたら下記のメルアドまでご一報ください。

物資は今後ずっと引き続き年中募集しており、いつでもかまいませんが、不在のときは受け取れません。
荷物到着時に受取人不在の場合は運送会社が発送人に返送してしまいます。
従って受け取りが出来るか確認の連絡を頂き、受取可の返事を待って御発送頂けますようにお願いします。
必ず発送人払いでお願いします。近くなら取りにお伺いします。

また、品物もある程度限定しておりますので悪しからずご了承くださいませ。
詳細は下記メールアドレス宛にご連絡下さいませ。
品物をお送りいただく先は京都南部です。

お願いしたい品物は

生活に使うもの、衣類は新品又は新品に近いもの、洗濯してあれば袋や箱に入ってなくてもかまいません。
衣類は夏物を中心に長袖はフィリピンでも使いますが真冬に使うコート防寒具は不要です。
パソコンや文房具は使えるものなら中古でもかまいません。途中まで使ったノート、半分まで使った鉛筆など、でも変色するほど古い物は使う人も嬉しくありません。
家庭雑貨のうちガラスや陶器の食器類は新品でも重いのでお断りさせてください。

現地の大学生もパソコンは必需品です
ノートパソコンは中古でもXP以降なら使いますしWifiが付いていれば更に良し。
無線LAN(Wifi)は現地ではマーケットなど公共の場では無料で使えるのが設置されています(この部分は日本より進んでる)。
OSは英語版windowXP以降お持ちならお願いします。紙の英英辞典は嬉びます。

電池式ならTVやラジオも、TVはアナログ放送です日本では捨てるしかないが現地では使えます。
家庭用液晶TVはリモコンもそろってないと現地でチャネル設定ができない日本でも買った時は同じでしたね。
本体のみでチャネルを自動サーチ機能がある場合はリモコンなしでもかまいません。ポータブル液晶TVは自動サーチするのでOKです。
TVのAC電源部と本体が分かれている物は日本で使っていた物も電源部を現地対応にするだけで使えます。
取扱説明書(日本語)もあれば万全です。私が現地で設置設定します。

はっきりと動作すると判っているものをお願いします。でもブラウン管テレビはお断りしております。
日本にはアナログ放送がないので動作確認できません。
重いのを持って現地で壊れているのが判るのは非常に辛い。

気候は
フィリピンは7000を越す小さな島が点在する国です。
殆どの人は海岸部の常夏の地域に住んでいますが暑い国と言っても12月の朝晩は冷えて寒く感じる気候です。
山間地に住んでいれば12月以外でも霧がかかり私には寒く感じられ現地の人は耐えるしかありません。
そのような地域では家の中では火を焚いています。

日本と同じように湿度温度は場所により島により異なりますがフィリピン中部に位置するセブ市の8月で長袖を着る日もあるくらい。
日本の真夏の猛暑日はとんでもなく暑いのですフィリピンではあり得ません。
東南アジアでは概ね日本の真冬が雨季の時期に当たります。

現地の人と家族の話をすると40〜50代で死んでいる人も多く、「親は私の5才の時に死んで叔父に育ててもらった」などはよく聞きます。
下記の写真をご覧ください、50才未満の運転手で白髪です。

現地では救援物資を横流しするなどの現地政府直属の救援団体不正行為のニュースは毎日のように見聞きする国です。
従って団体に渡さず直接現地の人に渡す方法を考えるのも私の仕事です。

ご連絡先(ご意見ご感想も)
toshozac#mbox.kyoto-inet.or.jp 宛に御連絡頂きましたら幸いです。
なを送信前にメルアドの#を@に変更してください。
スパムメール対策のためにこのようにしておりますお手間を取らせますがよろしくお願いします。
メールも取れない地域に一週間いる事もあり直ぐに返事が出来ない事もご承知おきください。

お互いに連絡が着きましたら電話でのお話もさせて頂きたく存じます。
ここには実名実住所は記載しませんが、引き取りは小生の実名実住所で責任を持って行います。
残念なことに現実の世の中は勝手になりすましや流用がありますのでこのようなシステムにしております。

以下はミンダナオ島カガヤンデオロの写真です。

私が持っていって渡したノート、沢山書いてある使用済みページは破り捨てたが少しだけ書いてあるページはそのままにして使っている。
書いてある日本語はもちろん彼女には読めないが気にせず使ってくれるのが私には嬉しい。


小生64(左)とトライシクル運転手48才(右)


このトライシクルに乗りました


車内から見た他のトライシクル大勢乗っていても100cc程の日本製バイクに車輪ボディを付けたものです。


持っていった物資を渡した(左端箱)台風直後のレイテ島にて


ここからは2016/4月ネパールへの旅
これだけの荷物以外に腰バッグにはカメラやスマートホン、電池の予備など3kgくらい、下の赤いバッグは24.7kg、
真ん中のリュックは18.5kgこの中の8.5kg程が私に必要な生活用具カバン、上のブルーのカバンは3.5kg、
合計するとほぼ50kg、重量超過で追加料金を取られるのをドナイして回避するか考えながらの空港への道。
これだけの荷物を持って歩くのは10mが限界、駅に来るにはタクシー。
赤いバッグは現地の人に差し上げる衣類だが青いベルトで締めておかないとジッパーが中の荷物の圧力で開いてしまう
ので強く締めてある、いや絞めてある。
赤いバッグだけは預け入れ荷物だが残りのバッグ類25kg程は飛行機の機内持込、カトマンズまで空港乗換え時も手で持ってウロウロする羽目に。


首都カトマンズから何度も乗り換え何時間も掛けてやってきました山間部のバスの終点、
ここに来る途中の部落は近隣の山が山頂から崩れて部落自体が土の下、そんな地域をバスは10分ほど掛けて
ゆっくりと埋没部落部分を走り抜ける、数千人の人が埋まったままの上を走った訳だ


徒歩と四駆の車でやって来たヒマラヤ山麓のラムチェ村


現地の人が寝るベッド(一番手前)を使わせてくれた、青いリュックが私の生活用具。ベッド右手は2m程の崖、ビニールは雨が降ったら山の段々の土が濡れてこちらに水が来ないようにする為。




2020/2/25 ベトナムの首都ハノイの街角で

竹の竿を肩に掛けて物売り、日本のバザーの余り物の土産をおばさん達に差し上げると喜んでくれた、嬉しく抱えている。下の黄色いのは皮を剥いだパイナップルをビニールの袋に入れた商売物。ハノイの雨季2月は寒いので冬の衣類を喜んでくれる、行商を見かける度に私は変な声掛けおじさんに変身、若い女性が良いんだが行商はおばさんばかり子供がいたら文具を渡す。国土が縦長のベトナムは南のホーチミン旧サイゴンとは気候が違う。


 Thank you おわり