2015/10/13火Tue

この時期はこの時間になると夕日が天井を照らしてまばゆい季節。チェックインカウンターでは荷物預けスーツケースを受取ってくれてチェックインした。ここでインチョンからセブへのOZ709便の搭乗券も発券してくれた。
今日のOZ113アシアナ便は747ジャンボ、夕方の便は度々遅延するがどこか遠くから着いた便をそのまま関西空港に飛ばすのだろうか?17:14離陸
インチョン空港からはOZ709小さな機体のエアバス320は20:43離陸
食事を配りだした客室乗務員、私が写真を撮ろうとすると手で制止、それなら本人の居ない間に撮るだけ。
そして隠れて撮るだけなのに、何を意識してる、私を意識して良い男?
今夜もビーフシチュー
今日は島伝いのルートは混んでいたのか、それともルソン島は大きな台風が通過中だから避けて太平洋の真ん中を突っ切ったのか、セブまで4時間20分


2015/10/14水Wed
セブの町でゆっくり、朝1時からは10時間の滞在にして引き続き一泊にする。午後にレアロズ

2015/10/15木Thu

午前中にトランスアジアフェリーのチケットを買って、夕方6時前に港に行く途中に雨が降り出した。ピア3に向かう。
船はトランスアジア10
週末でなく木曜日なので甲板デッキのベッドも乗客もガラガラ、私のエアコンツーリストクラスもガラガラ状態だった。ゆっくり野菜炒めで夕食。


2015/10/16金Fri

8時間近くベッドでぐっすり寝てしまった。船はカガヤンデオロの町に近づいたので速度を落とし、夜が明けだした。
僅かな時間に見る見ると明るくなる
接岸真近か、船客が投げるコインを潜って取りに行く子供達が船を出して待っている、子供だけとは限らないのがこの国。
港に端に赤いパトロールの船が泊めてあってその横は海にまではみ出したバラック街
朝5時半着の予定が5時10分でここまできた、この船はやはり早い。同じ時間に出発して9時に着く船とは大違い。
荷物をポーターに頼んだら先日は1個50ペソ、2個で100ペソ払った、それで今回は1個にしたら100ペソ払えって、常に値段交渉することに慣れてない私は戸惑う、なんとか80ペソに値切った。
タクシーはボラれるし乗り合いのトライシクルなら他の乗客と同じ価格と思って大きなスーツケース、手提げスーツケースと小さなカバンを持って乗り込む。
ミンダナオ島Bukidnonブキドノンに住んでいると言うこの女性、車内で色々と話して写真を撮って良いかと尋ねたら気前良くポーズを取ってくれた。もっと話したかったが家族と一緒、私は遠慮して連絡先も尋ねなかった。
アゴラバスターミナルに着いた、他の乗客は降りて私はP100払ったのにP20しか返してくれない、私は大声を出して「なにっ俺を怒らせるな」と行ってP50の取り戻しに成功、更に荷物代二つ分と私の三人分払えって「何言ってるんだ手で持てる荷物を勝手に勘定に入れるな、勘定に入れたってP24じゃねぇか」と、「現地人ならP16をP30払ったのだから返して当たり前だ」としぶとく文句を言って更にP20取り戻した。
降りたのはミニバンターミナルの反対側、ごろごろと引きずってバスターミナルを通り抜ける。朝6時半ごろだ。
ミニバンの運転手がこの車の後ろに座っていた「バリンゴアンまでP100荷物代は取らない」と言うので「預ける荷物は大きいのと小さいのと合計二つだよ」と言って席に座る。でも満席になるまで長時間待たされたら困るなと思てると、「出発するからP120払え」と運転手とは別の男が運賃を集めに来る。「運転手はP100だと言ったそれ以上は払わん」と強行に言う。隣の女性はP120払ったのにと言ってなにやら現地語で言っていた。
満席にならなくても7時頃には出発してくれてバリンゴアンに着いたのは9時半、「お前は正直な運転手だ」と言ってP10のチップを渡した。
バリンゴアン港を出る10時発のフェリーがあったので切符を購入、P180-
チケットの横にP2の税金と、乗り場建物に入るのにP15払って入る、建物内ではX線検査装置があるのだが壊れているからと荷物を開けて中に手を入れて検査、日本人だと判るとフレンドリーな彼ら。「アリガト」と返事が返ってくる。
待合室に座ってトイレに行って、5分と待たずに乗船。
バリンゴアンの出港は予定通り遅れる、スケジュール通りに出ることはまずない。
船は1時間半ほどの航行を終えてベノニ港に到着、入れ替わるように黒い煙を吐いて出て行ったフェリー、バリンゴアンに行くのだろうか?
カガヤンデオロに着いた時の事を思い出しポーターに「大きなスーツケースだけ、それも階段を降ろすだけで良いからP10だよ」、OKとやり取りした
ベノニの港から出てきたマンバハオに行く車はどれだ、ジープニーは暑いしミニバンを探したいなぁ
P30でマンバハオに行くミニバンを発見、直ぐに出発した。前の私の黄色いスーツケースが今回の一番大きな荷物、運転が荒いので車が揺れる度に荷物が踊っていて前の赤いおばさんが手で押さえていてくれた。半時間程でマンバハオに到着。快適で早い。
マンバハオからはジープニーに乗り換える、直ぐには出発しないと言うので隣のマーケットに何が食べられるか見に行く
葉物野菜もあるが水気や鮮度を保つなどは考えないらしい
赤いのは小さいトマトだが、肥料を大切にしないので野菜は大きさに関係なく美味しくない。水と太陽さえあれば育つと思っている。
根まで切り落として時間が経過すると直ぐに葉が萎えてくると思うのだが・・・。
大根のぶつ切りかと思ったら瓜の仲間らしい。キャベツはP60/kgと言っていたのでキャベツを買ったらP25-だった
計量だけは関係行政機関がしっかりしていると言う事か、マーケットの中に設置してあった。
この後、ジープニーは出発、サンコンセミタリーの家には昼過ぎには到着、


2015/10/17土Sat

ラファエルと一緒に朝食、その後は私のバイクでラファエルをラムゾネスフェスティバルが開かれる会場まで送る、皆さんlは予行演習と準備に忙しい。
スタジアムは完成したばかり、内装も未だの部屋やむき出しの所もある。
隣は出店の出るエリア、飲み屋や夜店のような出店が準備に忙しい
ベノニからマンバハオに向かう道沿いにある競技場がフェスティバルの会場(この写真は6月)
夕方はラファエルの家に行ってインターネットで帰りの飛行機の予約をする20kgの荷物を含めてP1500\3500程、フェリーで来るのと同じか、むしろ安いかも。翌日も翌々日も同じ金額だったので翌々日にした。
サルのルーパー君、夜は寝てるかと思ったら私が近づいたのを察知して眼を開けている。
波の音を聞きながら、ルーパーは右側の紫バスタオルの向こう側にいる。ビールを2本飲んでゆっくりとした時間を過ごす、蚊は全くいない。半そでパジャマで心地良い。


2015/10/18日Sun

朝からラファエルのバイクを修理して、カタルマンの町でキャブレターを分解、その後は彼らはマンバハオのラムゾネスフェスティバル会場に向かった。
私はサンコンセミタリーの家でゆっくりコーヒーを楽しむ、午後になって親父さんがラムゾネスの実を取りに行こうと家の裏山に来た、家から数分だ。
実ってどこどこ?
良く見ると小さな実があちこちに、日本では銀杏と間違うような色の甘い実
木の葉に隠れるようにたわわになっている。
これが取ったラムゾネス、フェスティバルの名称にも使われるくらい南国では有名な果物、大粒の葡萄と思えば良い、味は葡萄より薄いが毎日食べていると好きになる。日本では竜眼と呼ばれる?
足で右の耳を掻いていたサルのルーパーには採りたてのラムゾネスを沢山おすそ分け
Mvi3094.avi 121sec手と足を器用に使って落とさないようにして食べる、食べ物をもったまま渡しに近寄ってくれるルーパー君、後ろの話し声はハーレーン
Mvi3095.avi 49sec良く遊んでくれるのは食べた後の運動??


2015/10/19月Mon

朝5時半に家を出て親父さんにバイクで空港まで送ってもらう20分程。便名がDGとなっているのでドラゴンエアーの機体かと期待していた。
便名はドラゴンエアーでも機体はセブパシフィックのATR72
席番号11Aのシートに座る、隣はドイツ人軍隊上がりのでかい体で56才だが年金で遊び歩いていると、今までタイにいたが友人が逮捕されて出てきた、タイには絶対に戻らないと言っていたが戻ると逮捕されるからか?とは尋ねなかった。尋ねても本当の事を言うはずがない。
フィリピンの携帯電話番号だけ交換して私の宿は言わなかった。Guido3216179579


2015/10/20火Tue

夕方7時頃、空港に向かうが道路は混んでいる、狭い道路の端を自転車にリアカーを引いた10才に満たない小学生が走る、渋滞で車が止まるたびに抜かされ、青信号では抜き去る。リアカーには火のついたコンロと重さを量る計量器、荷台に満載の落花生が乗せてあって少年は両手に売上金のP20札を沢山持ちながら幅の広いリアカーを引っ張って車の間を自転車を巧みに操っていた。
私は50年以上前の10才の頃にその頃はやりだした豆炭アンカを同じように自転車に積んで売っていたのを思い出した。
ポケットに使わない小さな額のペソ硬貨があったのでタクシーの窓を開けて「少しだがもらってくれ使わないか」と手渡した。少年は小銭を受取って判らないらしかったがタクシーの運転手が「取っておきな」と言ってくれて判ったようだ。
私は「何を売ってるんだと尋ねたら「ピーナッツ」、幾らだと尋ねたら「P20だ」、私は次に来た時に買うカラナと返事したら「ウォンアトライwant a try」味見するかいと流暢な英語で言って茹でた落花生を一つくれた。
日本で食べなれているカリッとしたピーナツに比べると物足りなかったが「次に来た時には必ず買うカラナ」と言い残して青信号で発車した、彼らにとって茹でるのは一番手軽な調理方法なのだろう。小さな小学生を応援してやりたくなった夕暮れ。


2015/10/21水Wed

空港チェックインは前日午後22時で本日0時50分予定の便に搭乗、私の席は16C、非常口の隣だから2席しかないのは仕方ないが非常口近くのこんな所に子供を座らせていいのと思った。暫くして客室乗務員が隣に母親を座らせたいので場所を替わってほしいと言ってきた。「非常口の近くは非常時に助けになる人を座らせないの??」私が言ったが意味が通じないらしい、どの航空会社でも離着陸時の規定として必ずあるはず。この客室乗務員は航空機運行規定を知らない勉強不足か無視しているのかも。やっぱ韓国系航空会社。
私の持っていた飴を受取って写真に納まってくれた韓国人の女の子。私は46Cに移動した
OZ710便は00:50離陸、チキンか魚と尋ねてくれたので魚を選択、白身魚の揚げ物で美味かった。
乗り換えのインチョン空港ではアシアナ航空乗り継ぎカウンターに行った。英語で話していたが日本語大丈夫です10年住んでましたからと言う職員、「この間はお客様が連絡して来なかったから便の出発が遅れた」と、私が他社便に乗ったからと連絡が必要な状況はなかったはずだ、いつも指定された時間に行かなければ搭乗券を発券してくれないしその時間が過ぎればカウンターは一方的に発券を締め切り便は出発するのだ。他の航空会社でも乗らない時に連絡が必要な状況はない。その時点では私の過去の行動に確証がないので謝罪するしかない謝った。「以前は乗らない時は連絡していたが航空会社が連絡不要との事だったので連絡してない」と説明した。預け入れ荷物があれば乗り継ぐ先の航空会社が荷物を引き取りに来るから判るが遅れた便では荷物がなかったようだ。私がどの航空会社に乗ろうかと迷うのは必ずセブに行く時の大韓航空かアシアナかの選択の時しかない、セブ行きの数年は必ず預け入れ荷物があるし、荷物の連絡があれば他社に乗ったと判るのでそんな事は私は起こし得ない。

後になって全て記録してある私の過去のこの旅日記を見たがセブに行く時は15ヶ月間アシアナ便しか乗ってないので韓国人職員の嘘である事が判った。
お前の話は嘘だと抗議に行きたかったが喧嘩を売るだけ余計に腹が立つだけなのでおとなしくすることに。嘘言うアシアナ航空はやめて大韓航空KE723関西空港行きに乗り換えて09:56離陸B777-300、腹が立ったのでお腹が減って朝食お替りした。ほぼ満席だったが食事は余っていたようだ。
四国の鳴門の真上まで来た、関西空港には11:05着陸、この後午後2時過ぎから仕事。


カガヤンデオロに向かうフェリーの船内では体が少し冷えた程度、でもカミギン島では裏庭で風に当たっている時以外は今回はずっと汗をかいていた、セブに戻ってからもホテルでは暑過ぎたりエアコンを使うと冷えすぎたりで、帰ってから不調、帰った日の夕方に久しぶりに病院に行った。


END